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奈良県


たかとりじょう

高取城 (奈良県高市郡高取町高取)
天守:なし  日本100名城  日本三大山城
戦国期の主な歴史
南北朝時代 南朝方の越智家によって築城される。
1580年 織田信長の命で廃城。越智家は筒井順慶の家臣となる。
1583年 越智頼秀の自害(殺害)により越智家が断絶する。
1584年 筒井順慶、居城・大和郡山城の支城として整備する。
1585年 筒井家が伊賀上野に転封。豊臣秀長の支配下に入り、秀長の重臣・脇坂安治、続いて本多利久が城主となる。
1591年 豊臣秀保(秀長養子)が病没。本多俊政(利久の子)が秀吉直臣となり1万5千石を得る。
1600年 関ヶ原の戦い。本多俊政、東軍につき、戦後、1万石の加増を得て高取藩2万5千石の初代藩主となる。
(メモ)
日本三代山城の一つに数えられるだけあり、下から徒歩で行くと、かなり疲れる。しかし、天守台の近くまで車でいける道路もある。
紅葉の名所として知られ、紅葉シーズンには、かなりの人でにぎわう。
幕末に起きた「天誅組の変 」で天誅組に攻撃を受けた城でも知られる。
天守台 黒門跡 七曲り
宇陀門跡 大手門跡 植村家長屋門