| 高取城 (奈良県高市郡高取町高取) | ||
| 天守:なし 日本100名城 日本三大山城 | ||
| 戦国期と中心とした主な歴史 南北朝時代 南朝方の越智氏によって築城される。 戦国時代に入ると越智氏は同じ大和国内に勢力を誇った筒井氏、大和国に侵攻してきた三好氏と抗争を繰り返す。 1563年 三好家臣・松永久秀に攻略される。越智氏は貝吹山城へ移る。 1571年頃 越智氏、織田信長に従属する。 1580年 筒井順慶、信長から大和一国を任される。越智氏は筒井氏に属したと思われる。 信長の命により、順慶は大和郡山城を居城とし高取城を廃城とする。 1583年 越智家秀が殺害(自害とも、による暗殺説あり)され越智家が断絶する。 1582年 本能寺の変。 山崎の戦い。順慶、明智光秀死後は羽柴(豊臣)秀吉の直臣となり所領を安堵される。 1584年 順慶、居城・大和郡山城の支城として高取城を整備する。 1584年 順慶死去。 1585年 筒井家が伊賀上野に転封。 豊臣秀長が大和郡山城に入城。 高取城は当初、脇坂安治に与えられたが、安治はすぐに転封。続いて秀長の重臣・本多利久が城主となる。 1589年 利久、秀長の命により高取城を近世城郭へと改修する。 天正年間末 利久、子・利政に2万5千石のうち1万石を分知する。 1591年 秀長死去。利久、俊政ともに秀長の養子・秀保に使える。 1595年 秀保死去。利久、利政ともに秀吉の直臣となる。 1600年 関ヶ原の戦い。俊政、東軍につき、戦後、1万石の加増を得て高取藩2万5千石の初代藩主となる。 (メモ) 日本三代山城の一つに数えられるだけあり、下から徒歩で行くと、かなり疲れる。しかし、天守台の近くまで車でいける道路もある。 紅葉の名所として知られ、紅葉シーズンには、かなりの人でにぎわう。 幕末に起きた「天誅組の変 」で天誅組に攻撃を受けた城でも知られる。 |
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| 天守台 | 黒門跡 | 七曲り |
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| 宇陀門跡 | 大手門跡 | 植村家長屋門 |